経済産業大臣指定「伝統工芸品」とは伝統的工芸品は昔から伝わる技術を用い、天然の材料を使って主に手で作られるもの、そして日常生活にゆとりとやすらぎを与えてくれるものをいいます。「岩槻人形」、および「江戸木目込人形」は、国の厳しい審査に合格して認定されました。そして産地の審査会に合格した人形だけが「伝統マーク」のシールがつけられます。
→全国伝統的工芸品センター (一般財団法人 伝統的工芸品産業振興協会)
岩槻人形伝統工芸士会
主な製品:雛人形、五月人形、浮世人形
江戸時代後期の雛祭りや端午の節句は、大切で賑やかな行事であり、そこで大きな役割を果たしたのが人形です。
岩槻人形は、その江戸時代後期から始まり、明治初期には、農閑期に地雛細工人が作っていた節句人形と、士族が内職的に作っていた人形の技術が合流してできたとされる雛人形が、本格的に岩槻で製造され、主に関東を中心に商われ、伝統を伝える人形の重要な供給源となりました。
さらに、明治時代には、五月人形等の岩槻人形は生産拡大の一途を辿り、国内有数の産地並びに江戸時代の面影を伝える貴重な人形の産地に発展しました。
平成19年に伝統的工芸品に指定。約160企業が指定されています。平成21年5月に工芸士会発足。
岩槻江戸木目込人形伝統工芸士会
主な製品:節句人形、歌舞伎人形、風俗人形
江戸時代中期(元文年間:1736~1740年)に、京都上賀茂神社で祭事に使う、柳筥(やなぎばこ)の材料である柳の木の残片で、神官が、木彫の小さな人形を作り溝を付けて、そこに神官の衣装の残りの布を挟んで着せ付けたのが始まりだと言われています。
当初は賀茂で作られたため「賀茂人形」と呼ばれていましたが、衣装の生地を木の切れ目にはさみ込んで作るところから「木目込人形」と呼ばれるようになり江戸に伝わりました。現在は、桐粉をしょうふ糊で固めたものに筋彫りをして、そこに布地をきめこんで作ります。
昭和53年に伝統的工芸品に指定。昭和54年4月に工芸士会が発足しました。展示会、実演への参加や小学校児童の製作体験教室の指導にあたるなど、人形関係の振興発展に努めています。